私自身は直接存じあげなかったが、私のパートナーが直接学び、薫陶をうけた心の導師であった松岡正剛さんが逝去された。「地の巨人」と言われた彼は、日本文化にまつわることで知らないことはないのではないかーと思えるほど博学であったが、シュタイナーの著書の書評でブラヴァツキー夫人に触れた内容が、すこしばかり残念な情報だったので、私にとっては「理解者」ではなかったのだけれど…
訃報にさいして、あらためて彼の文章を読んで、シュタイナーが成し遂げたかったことに、松岡正剛さんは心を寄せている…ことが、ようやく理解できた。以前はブラヴァツキー夫人の誤情報に気をとられていて、松岡正剛さんが伝えたかった本質を受けとれていなかったのだ。
シュタイナー「遺された黒板絵」の書評より。
シュタイナーは何をしようとしたのだろうか。それを手短かに語ることは勘弁してほしい。シュタイナーを語るにはシュタイナー主義者になる必要がある。それはいまのぼくにはできそうもない。そのかわり、シュタイナーが仕掛けた発信装置がいまや世界各地のゲーテアヌムとして、オイリュトミーとして、シュタイナーハウスとして根を下ろしていることを伝えたほうがいい。黒板絵の前に立ってみることもそのひとつだ。 しかし、ひとつだけぼくも強調しておきたいことがある。シュタイナーが神智学から別れて人智学を興そうとしたことには、あきらかにゲーテ思想の普遍化という計画が生きていたということだ。ゲーテ思想とは一言でいえばウル思想ということである。原植物や原形態学を構想した、そのウルだ。植物に原形があるのなら、人類や人知にウルがあっておかしくはない。シュタイナーはそれをいったん超感覚的知覚というものにおきつつ、それを記述し、それを舞踊し、それを感知することを試みたのである。 超感覚的知覚とでもいうべきものがありうるだろうことは、堅物の科学者以外はだれも否定していない。リチャード・ファインマンさえ、そんなことを否定したら科学の未知の領域がなくなるとさえ考えていた。ハイゼンベルグだってウルマテリア(原物質)を想定した。しかし、そういうウル世界をどのように記述したりどのように表現するかとなると、それこそノヴァーリスからシャガールまで違ってくる。ヴォスコヴィッチからベイトソンまで異なってくる。シュタイナーはすでに1920年代に、それをひたすら統合し、分与したかったのだ。このことは強調してあまりある。
私はこの文章を読んで、なんて優しい方なんだろう…と、ようやく松岡正剛さんの心に触れた思いがした。「ウル世界」を表現すること、ましてや統合すること、分与することは、本当に難しいことなんだよ…という彼の声が聞こえてくるのだ。そして、「シュタイナーを語るには、シュタイナー主義者になる」という言葉にも、教えを生きる者への理解、そして敬意があるように感じた。
この文章を読んだのは5年以上前になるが、秘教学を伝える孤独感を癒してくれた。訃報にふれて読み直しても、とても癒されるし、励みになる。
神智学や秘教学には、今世は踏み込めない…と書き残した松岡正剛さん、どうかベールの向こう側で、終わりない生命のなかで秘教本を開いたならば、何を感じるのか聞かせてほしいと思う。
以下の写真は新月前の「玄月」ー松岡正剛さんの俳号。「お月さまが欠けていってなくなって新月になっても、まだそこに黒い形を残している月のこと」
この「玄」は「黒のまた黒」という意味で、真っ暗闇のような黒のことではない。むしろ逆で、その手前の黒なのである。まさに墨がもっている黒に近く、いってみれば動きを残す黒である。 ー松岡正剛

最後に、松岡正剛さんへの追悼の言葉をシェアする。
少人数だけれども秘教対話を7年続けられたエソテリック東京の小グループ。主宰する私には何も力はないのに、7年続けられた理由は、参加者一人一人の「願いの力」だと思っている。世界平和を願う心、霊的成長を願う力が、秘教学を引き寄せているのだとも思う。
エソテリック東京が大人数集まる集団だったら、7年も続かなかっただろうなーと思うのは、決してメジャーにはなれない負け犬の遠吠えかーと思っていたが、「大切なことは繊細さをもってしか望めない」という言葉が、私を勇気づける。松岡正剛さんは理解者ではなかったけれど、応援者だったのだと思えた。
だから秘教学を、孤独に学ぶ人に伝えたい。その継続する力の面影に、あなたが願う世界を映し出してください。大祈願を唱えるあなたの小さな声に、世界の愛と光を宿してください。
心からのご冥福をお祈りします。ベールの向こうから応援していてください。

少数なれど熟したり 編集工学研究所の「本楼」には、天井に近いところに「Pauca sed Matura」という文字が刻まれています。松岡がモットーとしてきた、フリードリヒ・ガウスの墓碑銘「少数なれど熟したり」です。 松岡にとっての「Pauca sed Matura」は、単に少数・小規模・少人数を礼賛するものではありません。「少数精鋭」をうたいたいわけでもない。本当に大切なことにはある微細さをもってしか挑めない、という編集の摂理のようなものではないかと思います。 かすかなゆらぎを察知し合いながら自由闊達な相互編集が起こりうる、その小さな単位にこそ「世界」が映り込むのだと松岡は考えていました。そうした壊れやすい面影に切り込んでいくことに自らの存在と思想と方法をかけたのが、松岡正剛の編集人生であったと思います。 松岡は常々、「どんな仕事も、世界と対峙していると思ってやりなさい。」とスタッフを励ましていました。「“自分”などというつまらないサイズに仕事を落とすな」という叱咤でもあり、「“自分”という断片だからこそ相手にできる全体がある」という激励でもあったと思います。
断片とは部分ということである。では、部分は全体を失った不幸な負傷者かといえば、そんなことはない。部分はその断片性においてしばしば威張った全体を凌駕する。部分は全体よりも偉大なことがある。 『フラジャイル』 松岡正剛
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